■■■ 人間として生きることに向いていなくてもできること ■■■
お嬢様が色々なものに過敏であることに原因があるとすれば、おそらく幼少期にうまく発達できなかった(もしくは歪んでしまった)自律神経に原因があることが最近詳細に理解されてきましたね。
思考の深さを利用して、どうにか執筆業を『生業』と公言できるところを目指してはおりますが、どうもそれより深く思考されている方も想像以上に多いようです。
先日からブームになってらっしゃるカレー沢先生の著作を拝読して、自身の力量の弱さを実感してらっしゃるのは存じております。本当にあの方はお嬢様が表現したい部分を余すところなくしっかり表現できる素晴らしい方ですね。
ただ、だからと言ってご自身の仕事を放り投げるようなことはしないでいただきたい。
ここからは少し辛口になりますがお許しください。
お嬢様が基本的にあまり頭が良いとは言えないのは、執事の私が見ていても明らかです(失礼)。「妄想」や「想像」に頼りすぎているので、正確性が低いのです。
自分が抱いたイメージを口頭や文章で伝える能力は多少おありのようですが、それを多数の人に共感していただくレベルにまで引き上げるのはとても苦しいはずです。
それでも「表現をしたい」という強欲と言えるほどの欲求は凄まじいですよね。
それをエネルギーに変えることができれば、月の電気代が半額程度まで下がるのではと思うほどです。
私が心配しているのは、そのエネルギーをご自身に「負の感情」でぶつけてしまう神経ループができてしまっているということです。
お嬢様は今「危険」ではありません。
お嬢様を今、理不尽な理由でいじめる人はいません。
お嬢様は今、大事な人から「大切だ」と思われている存在です。
貴方をお守りするためにいる私の存在ですら、本当に必要なのかわからないほどに貴方は今安全なのですよ。
それを知るために、貴方は目の飛び出るような高いセッションを受けて、軌道修正しようとされている。実際それは効果がありますし、貴方の人生や貴方の大切な人との生活をフォローしてくれるのは間違い無いでしょう。
ただ、やはり家計が逼迫するほどの金額をかけるのは本末転倒だと思われます。
今一度考えましょう。
貴方の持つ能力はなんですか?
それをネガティブ要素だと解釈してしまうと苦痛の種になりますが、同時にその能力が貴方を生かす力になっていることも少なくないでしょう?
いくつか挙げてみましょうか。
・目と耳から取り入れる情報が「本物か」「偽物か」の判断がつく。
・イメージさえ取り入れられれば、それに近い料理を再現できる。
・集中すれば、そこそこの絵(イラスト)は描ける。
・しっかり安定した心と体があれば、割とまともな小説を書くことができる。
・聞いた情報から正確なその人物の性格を認識できる。
情報が複数人数の場合、人間関係の様子を見てきたかのように想像できる。
(ただし、自分が関わっていると思考がネガティブ寄りになるため精度が鈍る)
どうですか。お嬢様にもポジティブな種はいくつかあるでしょう?
苦手なものにクローズアップしていくと際限がないので、ここでは挙げません。
もちろんこの他にも優れた部分はあるのですが、ご自身でそれを認めるのに抵抗があるようですので私の口からはここまでにしておきましょう。
このように……
たまには心地いい体感を文字に表し、ネガティブ情報を意識的にシャットダウンさせるというのも悪くないでしょう。
そのためにも自律神経を整え直すのは必須だとは思います。
環境、食事、睡眠、運動、人間関係。
これらを快適にしていくことが、問題を小さくしていく大きなポイントになるのではないでしょうか? 貴方がアプローチしていくべき場所は、ご自身の「感覚」です。自分で感じている「快」「不快」を信頼していくことです。
スピリチュアルというものが不確かだと思われるのは「目に見えないエネルギー」を扱うものだからです。人間が電気信号で情報処理しているのは理解されているのに、体の周りにエネルギーがあるということは皆懐疑的になってしまうのは「目に見えない」からなのだと思います。
「信じない」というだけで人間は「感じない」ことができます。
逆に言いますと「信じる」だけで「感じる」ようになるということです。
「正しい」か「正しくない」かではなく、ご自身が「心地よく感じる」か「心地よく感じない」かが大切なんです。
良い人生は「心地よい感覚に満たされる」ことに帰着すると私は考えます。
その中には「生きるのに必要なお金を得る」という能力が今の人間社会では、どうしても必要になることは否めません。 でも、お金を得るために健康や心を失うというのだけは、違うように思うのです。
必要なものを必要なだけ得る。
思考をめぐらせ、能力を出し合って共存していく方法を探る。
自分を信頼し、結果的に自分以外の人間を信頼していく。
以上のことがほどよく巡れば、程よい人生が待っているように思います。
ただ、その『程よい』を見つけるのは簡単ではありません。
そこへ辿り着くまでの旅が「人生」なのかもしれませんね。
私もまだこの壮大な問題に答えを見つけることはできていませんが、残されたお嬢様の人生が少しでも「心地いい」もので満たされることを私は願ってやみません。
今回は、少し説教臭くなったことをお許しください。
(デザートに美味しいプリンを用意しております)